「組織と個人、そして私」

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「90年代の共産主義運動を考える研究会」という小さなグループが発行している小冊子『研究会報』の第14号に、早見慶子さんが「組織と個人、そして私」という回想を寄せている。80年代から90年代のはじめにかけての戦旗・共産主義者同盟(荒派、現在は「ブント」と改称)の活動家だった頃を振りかえり、その活動に参加しはじめた頃から決別したときまでの様々な事件をつづったものだ。

この小冊子に掲載される早見さんの文章は以前から熱心に読んでいた。「阪神大震災に学ぶ」という連載は爆笑しながら読んだ(まだ連載は続いているようだ)。次の地震に備えてプロジェクトチームを発足させ、地震を革命へと転化させるための準備を始めようという珍妙な小説(?)である。人を心から笑わせ、楽しませる文章は左翼の世界では極めて少ない。しかし今回の文章は深刻な問題をつきつけるものだ。

90年代に入って荒派が急激な非政治化をはじめ、ついには共産主義の看板さえ捨てるに至ったのはなぜか、私はずっと理解できなかった。しかし今回、この回想を読んでようやく分かってきたように思う。

荒派の組織に入る前の時期について、早見さんはこんな回想をしている。

三里塚にいったとき、私が職場でケーキを「五個食べたらただにしてあげる。」というゲームをもちだされて、食べてしまった話をしたら、とりかこまれて「ブルジョア的だ。ケーキを食べられない人もいるというのに」と批判されたことがあった。そのとき、集団でいじめられている私に対し、「おれだったら、もっと一杯食べられるよ。」とフォローをいれてくれたのは雙田さんである。また同じく三里塚に行った帰りの電車で「成田空港が公共の役にたつ空港であったとしてもあなたがたは反対するのですか?」と質問したときに「私たちが公共のものを破壊するためにやってると思ってんのかよ。よくそんなこと言えたもんだな」とやっぱり集団で糾弾されているときに、いち早く察して「何、話してるの?成田空港が公共のためなら、もちろん反対しないよ。しかし、ベトナム戦争のとき民間の飛行場だって、米軍機が発着するんだよ。」と優しく語ってくれた。そして私は「批判じゃなくて質問しているのに、ああいう糾弾をされると、少しメンバーに失望した」ということを言ったら、「組織というのは完全なものではない。組織活動を通じながら成長していくことに意味があるんだよ。革命とはまず自分自身の未熟さを変革していくことから始まるんだよね。組織のメンバーが未熟であるのは僕が未熟だから、そこまでの組織しかつくれていないんだよ。」ということごとくの献身的なセリフに圧倒されていった。

ケーキを5個食べたというだけで「ブルジョア的」という批判が飛び出すのは、ごく普通の人間的な感覚が否定され、観念的な左翼性だけが追求されているということを意味する。三里塚闘争について素朴な疑問をぶつけただけで敵のように扱われたりするのは、もはや大衆に訴えて支持を獲得することを放棄し、組織内の論理だけで自閉してしまっているからである。そんな中へ早見さんは「雙田さん」という一人の活動家に惹かれることで飛び込んでいく。

一人の活動家との人間関係によって政治党派を選択したのはやはり失敗だったのだろう。政治的な選択はもちろん政治的な判断によってのみなされるべきであって、そこに個々の人間関係を持ち込むべきではない。早見さんが20代の貴重な時間を失ってしまったのはこの判断の誤りによるものだと思える。

とはいえ、どんな政治党派もこのような個々の人間関係を不可欠の要素としているのは間違いない。いかなる組織であろうと個々の人間関係が好き嫌いの感情に支配されることは避けられない。綱領や戦術が正しければ運動はつくれるが、組織を維持するためにはそれだけでは足りない。一般の会社組織でさえ社員旅行やクラブ活動によって擬似的な共同体をつくろうとするのが普通だ。当時の荒派のように武装闘争に入り込み、アジトで共同生活を送るようになっていればなおさらのことである。

かつて連合赤軍のメンバーだった植垣康博氏はこう書いている。

 実際、連赤の私たちの個性は、当初はこの日本の社会生活の「物質的土台と諸関係」の「所産」として形成されたにせよ、当時の赤軍派や革命左派の運動や組織が必要とする個性は、そのような自然に形成された自由な個性ではありません。個人としての個性そのものをブルジョア的な個人主義、自由主義として解体し、排除し、党派の運動や組織に全面的に従属し奉仕する思想、作風、規律に適合させた無個性としての個性です。これが、党派の運動や組織の「下部構造と諸関係」の「所産」として形成される党派的な個性です。問題は、国家権力との攻防が決定的なものでないときは、党派的な個性は建前として尊重していればよく、従って、自由な個性と党派的な個性とは共存できますが、攻防が決定的なものになったときにはもはや共存できなくなることです。というのは、両派の武装闘争そのものが両派単独で国家権力と革命戦争をしていこうとする非現実的なもので、従って、個々人に両派への徹底した盲目的な献身と犠牲を強制する以外に実行できないものであったからです。(「連赤総括論争によせて」、『ブントの連赤問題総括』、実践社)

早見さんが指摘している荒派の問題は連合赤軍の問題でもあったことがわかる。ごく普通の人間の個性を「ブルジョア的な個人主義、自由主義」として否定する組織観は明らかに荒派にも共有されている。連合赤軍ではこの組織観がメンバーの処刑を招いたが、荒派はそこまで行っていないというだけであり、程度の問題にすぎない。

植垣氏が適切に指摘している通り、自由な個性を完全に否定する連合赤軍の組織観は国家権力との攻防が決定的なものになったときにその矛盾を露呈した。革命戦争のための組織観であったにもかかわらず、そのときが実際に来てみると全く無力なものだということが明らかになったのである。否定できないものを否定し、政治の論理によって個人の生活を規制しようとしたところに本質的な無理があったのだ。

荒派がただ革命によってしか解決できない階級の問題を個々人の「小ブル性」の問題、言いかえれば心がまえの問題として捉えてしまったことの帰結は、本来の目的であった革命の忘却である。東欧革命やソ連の崩壊、さらには天安門事件によって、左翼をとりまく政治情況はますます厳しくなっていく。さらに、荒派は三里塚でも失敗して闘争から脱落せざるをえなくなり、政治的に行き詰まってしまう。

そんな中で彼らは突然禁煙運動を始める。その特徴は機関誌に掲載された「ブントはタバコをやめました」という論文のタイトルにはっきりと表れている。一般社会に対してタバコの害を訴えるのではなく、ただ自分たちの決意を表明しているにすぎないのである。彼らは政治党派として破産し、単なるサークルへと解体したことを自ら公然と宣言したのだ。

早見さんの説明によれば、この禁煙運動が提起されたのは逮捕された千葉の指導部がゲリラについて自供してしまったことがキッカケになっているという。自供した指導部は生活が荒れていたので、まずそこから反省することになったというのだ。この見当違いの運動に早見さんは強く反発し、結局は荒派から離れることになる。

今や荒派は党名を「戦旗・共産主義者同盟」から「ブント(BUND)」へと変更して共産主義を脱色している。政治集会は「グラン・ワークショップ」と呼ばれるようになった。活動内容は山登り、凧上げ、料理対決...まるで市役所が企画する夏休みのレクリエーションである。政治的な課題を放棄してしまったため、そんなことでもしないと組織を維持できなくなっているのだ。

とはいえ、彼らは人畜無害な市民サークルになったわけではない。日本共産党と同じように、政治目的は放棄されても組織のありかたは変わっていない。彼らは個々人が楽しむためではなく組織の「共同主観」を維持するために山登りや料理をしているのである。楽しみ方は各人各様、などというわけにはいかない。また、急激な路線変更を批判した佐藤悟志氏をロフトプラスワンで組織的に暴行した事件は、彼らが政治は放棄してもテロは放棄していないことをハッキリと示した。彼らの行動様式はオウム真理教とほとんど見分けがつかなくなっている。

個々人の「小ブル性」を絶えず問題とする組織のもう一つの行き先は“個人崇拝”である。植垣氏は自由な個性の否定が個々人の党への全面的な従属に至ることも指摘している。同じ問題は早見さんが上部の西城や立原について考察している部分にも出てくる。

 にも関わらず、彼は小ブル的学生っぽさを持っていた。最初から上に従う人間ではなく、自分の意見をちゃんと持っていた人であった。それは最初に登場する立原さんもそうである。そしてその一方でどうせ生きるなら苦しむ人間の役にたちたいと思って、努力をしていったに違いない。だから荒さんに従うことで、西城さんも立原さんも己の小ブル性を克服しようとしていったようだ。それがきわめて露骨な形で下部に対する官僚的態度となって現れてしまったのであろう。かつて立原さんが共闘関係の人とビラをめぐって対立したことがあった。そこに立原さんの問題発言があって他のセクトが戦旗に抗議するといったとき「荒さんにだけは言わないで」と謝ったという。自分たちの活動家生命が荒さんによって牛耳られていたから、こうであったのだろう。それは私も同様である。自分の活動家生命が西城さんの手の内にあった。

ごく普通の感性を「小ブル性」や「ブルジョア的な個人主義」として否定する価値観が支配している組織では、個々のメンバーは自然な自己をたえず否定しつづけなければならない。自由な意見の表明も不可能になる。上部と対立すればたちまち「小ブル性」を批判されるので、それを避けるためにはひたすら上部の指導を待ち、それを下部に押し付けていくしかなくなる。かくして“全能の指導者”が登場するわけである。

「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」とマルクスは書いた。たしかに、連合赤軍の壊滅を悲劇とすれば荒派の変質は茶番である。しかし、早見さんの回想は茶番の中にも悲劇がありうることを悟らせてくれた。