Wikipedia

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
昨年秋頃からWikipediaの記事の編集を始めた。 編集しているのはもっぱらマルクス主義関係の項目だ。Googleで「マルクス主義」や「共産主義」を検索するとWikipediaのページがトップに来る。しかしその内容は非常にお粗末なもので、誰の参考にもなりそうになかった。そこで少しずつ書き直すことにした。現時点で、マルクス主義共産主義レーニンあたりには私が書いた文章がかなり入っている。 完成度はまだ不十分だ。ひどすぎる記述を改めるだけでも骨が折れる。例えばロシア革命私の編集前には、十月革命について「ボリシェヴィキ指導者ウラジーミル・レーニンは赤衛軍を派遣してクーデターを行い」などと書かれていた。そんな史実はもちろんない。しかしこれを修正しようとすると十月革命についての事実を改めて調べ直さなければならない。間違いを指摘するのは簡単でも、正しく修正するのは難しい。かといって調査に時間をかけることは間違いを放置しつづけることを意味するので、ある程度のところで妥協して記述を修正した。 議論が分かれる問題について書くのも難しい。できるだけ没個性的に書くようにしているが、それでも他の人と意見が分かれることがある。私は間違った見解との共存は望まない。そういう見解が書き込まれた場合は完全に削除する。当然、相手も私の見解をまるごと否定することになる。なにも理由をつけずに修正されることもあり、問答無用の潰し合いになってしまうこともある。重要な修正の際には必ずノートで理由を説明しなければならないようなシステムになっていればいいのだが。 とりあえず、今後修正予定の項目と現在の記述の問題点を私個人の利用者ページに列挙してみた。暫定的な修正を入れるだけでも数年はかかりそうな気がする。しかし地道にやっていくつもりだ。

覚え書き・渓内謙『現代社会主義を考える』

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

スターリンはマルクスやレーニンの国際主義を捨て、代わりにナショナリズムを導入した。マルクスやレーニンの国家死滅論も捨て、国家権力の最大限の強化へと進んだ。その結果として成立した1930年代のスターリン主義体制は現代の各国の社会主義体制の祖型となっている。国際主義や国家死滅論は、なぜ、どのように捨てられたのか。これが渓内氏の問題設定である。

ナショナリズム

渓内氏は、マルクス主義の本来の国際主義に反し、ナショナリズムは現代社会主義体制の基本的理念になっている、と指摘する。そしてナショナリズムをハンス・コーンに従って「国民の圧倒的多数の至高の忠誠を、現在の、もしくは希望する国民国家に集中させる」政治信条とする。このようなナショナリズムと社会主義の関係が矛盾をはらんでいることは、1978年の中国とベトナムの戦争によって誰の目にも明らかになったという。

ナショナリズムが現代社会主義体制の基本的理念になったのは、スターリンが一国社会主義論をうちだしてからのことだ。それ以前には、ロシア革命はヨーロッパ革命の導火線として理解されており、社会主義は国際的な秩序とされていた。一国社会主義論はこのような国際主義を否定し、社会主義秩序を国民国家の枠内に押し込めた。ヨーロッパ革命が挫折したことや、ネップにより国内経済が復興したことを背景となり、一国社会主義論はナショナリズムと共鳴して支持を得たという。

しかし、社会主義とナショナリズムの矛盾が噴出する状況を踏まえるならば、両者の関係は改めて問いなおされなければならない。「ナショナリズムのいまももつ肯定的側面をそのなかにとりこみながら、またその否定的側面に対してきびしく対決することのできる、より高い統合の原理が摸索されなければならない」(p76)。渓内氏は一つの例としてグルジア民族問題へのレーニンとスターリンの対応を紹介する。レーニンは少数民族であるグルジア人の要求を支持し、スターリンは拒否した。レーニンは少数民族に対する「譲歩とおだやかさ」を説いた。

以上のような渓内氏のナショナリズム論に対しては、二つの問題点を指摘することができる。

第一に、一国社会主義論はナショナリズムと共鳴して支持を得た、という渓内氏の指摘は実証的根拠が不明なことだ。渓内氏は一国社会主義論をめぐる論争当事者ではなくハンス・コーンが1968年に出版した著書によってナショナリズムを定義している。しかし、トロツキーの『裏切られた革命』は一国社会主義論の勝利を単なる既成事実の追認と見なしており、ナショナリズムによりかかった、とは批判していない。一国社会主義論を国際主義の放棄と見なすことは可能だが、それをただちにナショナリズムの導入と結びつけるのは難しいのではないか。

第二に、社会主義とナショナリズムの「より高い統合の原理」という漠然とした方向性しか提案できていないことだ。これはナショナリズムの概念がもともと曖昧なためだ。しかし問題はもともとは明確だった。レーニンは(したがってボリシェヴィキは)民主主義革命の観点から民族問題を取り扱った。被抑圧民族が民族国家を形成する権利を民族自決権とし、民主主義革命の概念に含まれるものとして認めた。この原則を前提として、個別の被抑圧民族の独立要求に対しては、民主主義の観点からみて進歩的な意義を持つと評価できれば支持すべきだ、とした。この理論構成からは、統合されるべきなのは社会主義とナショナリズムではなく社会主義と民主主義ということになる。ナショナリズムという曖昧な概念を持ちこむ必要はない。

国家

マルクス、レーニンは、共産主義社会において国家は死滅するものと考えていた。ところが、実際には最大限に強化された国家が現れることになった。なぜそうなったのかを考えるにあたり、渓内氏は「党」に焦点をあてる。「党」とは共産党またはそれに準じる政党のことであり、制度的に独占的地位が保障されている。この一党支配体制こそが現代社会主義体制の根幹をなしている、という。

一党支配はロシア革命後の内戦によって強いられて始まった。にもかかわらずそれが制度として定着した理由を渓内氏は二つ挙げる。第一に、一党制の観念は存在しなかったが多党制の積極的構想もなかった。国家が死滅すれば党も死滅する、とボリシェヴィキは考えていた。第二に、いったん出来上がった組織がそれ自体独自の運動の論理をもち、逆にそれを創った人びとを規制するという逆説に対する洞察が欠けていた。

一党支配のもとで党は変質し、組織原則が民主主義的中央集権主義から一枚岩主義へと変わっていった。民主主義的中央集権主義では、党の意思は民主主義的に下から形成されることになっていた。意思決定後も少数意見留保の権利は保証されており、分派形成も自由だった。しかし一党支配のもとでは、社会の多様な利害が一つの党に表出の回路を求めることになり、民主主義的原則は維持できなくなるという。また、レーニン死後のボリシェヴィキが急速に党員を増やして大衆政党化したことも一枚岩化の要因になったという。渓内氏は大衆政党化が組織の官僚制化を引き起こすというウェーバーやミヘルスの議論を引き合いに出している。

このような一党支配や組織の官僚制化による党の一枚岩化は1920年代末の「上からの革命」によって完成する。とりわけ重要視されるのが1928年の穀物調達危機に対して取られた「非常措置」である。国家機関ではなく党が、しかも農民との合意なしに強制的に穀物調達を行なった。社会的組織であるべき党が国家と癒着し、党は国家に対して社会の様々な利害を表現するのではなく社会に対して国家の意思を表現することになった。この党と国家の癒着により、党に反する者は国家に反する者ということになった。

以上のように党の役割の変容に注目することで「社会」から「国家」への転換を確認する渓内氏の試みは、スターリン主義体制の重要な特質を解明するという点では成功していると言える。しかし、党の役割がどのように変わったかを解明しても、なぜ変わったのかを解明したことにはならない。なぜ国家死滅論に反する現実が産み出されたのか、という最初の問題に対する回答にはなっていない。党の変容にこだわりすぎたため、国家の変容を理解できなくなっているように見える。

ボリシェヴィキ以外の政党が禁止され、ボリシェヴィキ内部で分派が禁止されたのは、1920年代の初期である。その時点で既に民主主義的な政治制度は死んでおり、一般市民の政治的権利も奪われている。1920年代末の「非常措置」による変化は穀物調達という行政レベルでの変化にすぎない。渓内氏が強調するほど決定的な重要性があるとは思えない。

また、党の分析に集中することで、渓内氏は国家権力の分析だけでなく生産関係の分析をもおざなりにしてしまっている。「上からの革命」に関して渓内氏が注目するのは「国家」と「社会」の関係であって、「社会」の変化ではない。農業集団化によって農村の生産関係が変わり、国家権力による農業生産の支配が確立したことは、渓内氏の枠組の中では重要性を持たない。集団化が強制的に進められたという過程が問題にされるだけである。しかし、国家権力による生産の支配はスターリン主義体制の本質にかかわる特徴と言っていいはずだ。

ただし、国家権力による生産の支配はスターリン派だけの目標ではなかった。生産手段の国有化を社会主義的政策とみる見解はボリシェヴィキ全体が共有していたからだ。この観点に立つとき、「上からの革命」がボリシェヴィキにとって決定的な転換だったかどうかも疑わしくなる。

現代思想フォーラムはどんな思想を産み出したのか?

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

ニフティ訴訟を考える会というグループの編集で『反論 ネットワークにおける言論の自由と責任』(光芒社)という本が出版された。数年前にニフティサーブ(現在はアット・ニフティと改称)を舞台にして起こされた訴訟に関し、被告側のグループが自分たちの主張を明らかにしたものだ。

事件の概要は次の通りである。1993年から1994年にかけて、ニフティサーブ内の現代思想フォーラムにおいて、[Cookie]と[LEE THE SHOGUN]という二人の会員のあいだで対立が起こり、LEE氏はCookie氏を激しい言葉で非難した。するとCookie氏はそれを名誉毀損と見なして訴訟を起こした。LEE氏だけでなく、現代思想フォーラムの管理者とニフティサーブも彼の発言を放置したという理由で被告とされた。1997年に出された東京地裁の判決は原告の主張を大筋で認めるものだった。

私は1993年の暮れにニフティサーブに入会し、現代思想フォーラムには1994年のはじめ頃からアクセスしはじめた。94年2月頃からフォーラム内のいくつかの会議室で積極的に発言するようになり、以後3年ほどのあいだ、マルクス主義に関する理論的な問題や経済学の話題を中心にして様々な議論に参加した。私が積極的に参加していた時期は、事件が訴訟へと発展し、その意味がフォーラム内で繰り返し議論されていた時期と重なっている。

しかし、当時の私は訴訟の問題についてはなるべく触れないようにしていた。運営の問題よりも社会科学や思想の問題のほうが私にとって重要だったからだ。現代思想フォーラムの運営方針(つまり訴訟における被告側グループの考え方)には批判的だったので、何度かスタッフと対立したこともあるが、まとまった形で意見を述べたことはなかった。現代思想フォーラムから離れ、ニフティからも退会してしまった今、あらためて当時を振り返って彼らとの相違を確認しておくのも悪くはないだろう。

「現代思想」を忘れたローカル・ルール

『反論』の著者たちが繰り返し強調しているのは「自己責任原則」である。この原則は現代思想フォーラムのローカル・ルールとして明文化され、彼らによって繰り返し自賛されている。

従来のメディアとは違い、ネットワーク社会では「反論権」ははじめから保証されている。名誉毀損にあたる発言があったとしても被害者がその場で反論することによって名誉の回復をはかることができる。管理者が介入する必要はないし、するべきでもない。ただしプライバシーを侵害するおそれのある発言に関しては、反論しても被害の拡大を防げないため、発見次第管理者がただちに削除する。これがローカル・ルールの基本的な考え方である。

私はこの基本思想そのものには異論がなかったし、現在もない。パソコン通信やインターネットを従来のメディアの延長線上で捉え、同じ原則での統制を主張する論者は現在でも少なくないし、97年の東京地裁判決もそういう立場から下されているが、それらに対してこの「言論には言論で対抗せよ」という原則を主張していくことは是非とも必要である。

しかし、この原則はネットワーク社会一般にあてはまる一般的で抽象的な原則にすぎない。これだけでは現代思想フォーラムという特定の場の運営方針にはならないのだ。現代思想を議論する場は、旅行の体験を語り合う場やUnixについての情報交換を行う場とは違う。その違いをどう考えるかが問題なのだ。

この点はローカル・ルールの制定当時も議論されたようだ。第一章を執筆した市川智氏は当時の次の発言を肯定的に引用している。

われわれが議論してきた「ローカル・ルール」の内容は、そんなに「特殊」なものだったでしょうか? むしろこれは、あらゆるフォーラムにお薦めできるものだったのではないでしょうか?(略)現代思想フォーラムで重ねてきた「ローカル・ルール」の論議内容は、管理・運営の方法を「思想」的に吟味する内容をもっていた。しかし、その「ローカル・ルール」自体の内容は、特殊現代思想フォーラムのみに通用するものではなく、どのフォーラムにも十分お薦めできる普遍的な性格を持つものである。(純 94年5月20日)

このような意見が支持された結果、ローカル・ルールの文案からは現代思想フォーラムの特殊性を強調する文言は取り除かれたのだという(111ページ)。

私はこの議論には当時参加していなかったので、ここで取り除かれた文言がどのようなものだったのかは知らない。しかし、現代思想フォーラムのルールであるにもかかわらず、現代思想フォーラムの特殊性を一切含まないルールを制定するなどということは、本質的に誤った決定だったと思える。

私が参加していた当時の現代思想フォーラムでもっとも活発だったのは運営について議論する会議室だった。現代思想フォーラムは思想的な話題や時事問題について議論するための場なのに、それを忘れて運営会議室にしかアクセスしていないように見える会員も少なくなかった。これはまさにローカル・ルールの抽象性を反映した状況だったと言える。ネットワーク社会一般にあてはまる抽象的な原則にすぎないので、哲学や政治学など個々の分野に関心がなくても議論に参加することができたのだ。第五章を執筆している川辺陽子氏のように、訴訟のニュースを聞いて現代思想フォーラムに入会した、と書いて平然としている者までいる。いったい現代思想フォーラムに何を期待して来たのか、疑問を感じないわけにはいかない。

現代思想に関心のない者が増えればフォーラム本来の趣旨はかすんでしまう。門前払いするわけにはいかないだろうが、原告側のCookie氏が管理責任を追及したことの反動として「自己責任」や「言論の自由」ばかりを一面的に強調した運営方針は、実際には現代思想フォーラムの議論の質を低下させる役割を果たしていた。

ネットワークにおけるグレシャムの法則

私にとって、現代思想フォーラムで論争するのは本当に大変な作業だった。何か反論されるたびに関連する文献を読み直し、必要な文献が手元にないときは書店へ走り、ガツガツと読み飛ばして返答を書いた。数十分で返答が書ける場合もあるが、そういう返答は無内容なので議論の水準を落としてしまう。かといって数週間何も返答しなければ「逃亡した」との非難を免れることはできないし、他の参加者が議論を先に進めてしまうので返答の機会を逸することになりかねない。論争が始まると自由時間はすべてそのために吸い取られ、息をつく間もない日々が続いた。

しかし、いくら自由時間をつぶそうと、理論的な蓄積や周到な調査に基づいた投稿記事は、その場限りの感情を表出しただけの投稿記事とは共存しえない。前者を書くのは時間がかかり、数日悩んで結局何も書けないこともあるのに対し、後者は機関銃の早さで大量に繰り出すことができるからだ。

「言論には言論で対抗せよ」という原則の前提は、論争の参加者の間に論争自体についての合意が存在することである。南京大虐殺についての論争は、虐殺の事実を認める側と否定する側の双方が、議論によって問題を明らかにするという点で合意していなければ成り立たない。どちらか一方が論争の主題を忘れ、論争相手の人格を攻撃し始めたりすれば、論争はただちに崩壊してしまう。

市川智氏によれば、マスコミで訴訟が報じられると現代思想フォーラムに入会希望者が殺到し、「中には、現代思想フォーラムは何を言っても削除されないらしいと誤解し、口汚ない罵声をこととする者も居たが、そのうち飽きたのか誤解に気付いたのか去っていった」(141ページ)。これを読むと現代思想フォーラムに罵倒表現があふれたのはほんの一瞬だったかのようだ。しかし、私がアクセスしていた全期間を通じて、冷静な議論とは無縁の罵詈雑言であふれかえっていたのが現代思想フォーラムだった。

その殺伐とした雰囲気がある意味での解放感をもたらしていたのも事実である。運営スタッフの統制が強く、参加者がつねに上目づかいで議論しているようなフォーラムもあった中で、現代思想フォーラムは誰にも気兼ねなく発言できる場として機能していた。このことの意義は小さくない。しかし、現代思想フォーラムの目的は現代思想に関する議論であって、「言論の自由」はあくまでもその範囲のものでなければならなかったはずだ。

このように「言論の自由」の制限を肯定することは、Cookie氏らの主張を認めることと同じではない。彼女らが主張するのは言論の内容を統制することだが、私が認めるのは討論の場を維持するための統制であり、場を破壊しようとする確信犯に対する統制である。しかし当時の運営スタッフにはこのような区別はなかった。「言論の自由」を金科玉条とする彼らの下、罵詈雑言が大手を振ってまかり通り、多くの参加者を閉口させていた。

インターネットに公共的言論空間は創出できるか?

現代思想フォーラムにおいて「言論の自由」を保証することは現在ではあまり意味がなくなった。インターネットが普及した結果、誰もがWebページで自由に意見を書くことができるようになったし、メーリングリストや掲示板を開設すれば討論の場の管理者にも簡単になれるようになったからである。ある所で言論が弾圧されたら他の場所に移ればいいだけなのだ。

『反論』の執筆者の中で、この時代の変化をもっとも明確に肯定しているのが坂本旬氏である。

パソコン通信という限られたネットワーク資源しかなかった時代とは異なり、現在ではCR運動をやりたければすぐにホームページでもBBSでもメーリングリストでも作ることができます。誰にも許可はいらないのです。特定の会員を排除したければ、自由にそうすることができます。また、逆に、「男のふぇみにずむ」というホームページを作りたいと思えばそれもまたかんたんにできます。「男のふぇみにずむ」などというものは許し難いからといって、プロバイダに訴えても削除されることはないでしょう。(371ページ)

この認識からすれば、ニフティのフォーラムは無意味に窮屈な場にすぎない。坂本氏が今やパソコン通信には関心がなくなったと語っているのも当然だろう。

しかし、誰もが管理者になれるという時代の到来は、現代思想フォーラムでかつて問われた問題を少しも解決していない。Web上のあちこちにメーリングリストや掲示板が乱立した結果、異質な他者同士が一同に会する場が成立しにくくなり、「共感のサークル」ばかりができているというのが現在の状況だからだ。現代思想フォーラム程度の公共性すら成立しにくいので、ローカル・ルールも必要とされない。掲示板で何かトラブルが起これば、原因となった者を排除するか、または掲示板そのものを廃止することで終わってしまう場合が多い。これはある意味でCookie-LEE事件以前の状況に戻ってしまったのだと言ってもよい。

坂本氏はかつて、「電子ネットワークと現代思想」という論文の中で、市民運動のための手段として通信ネットワークを利用するのではなく、通信ネットワーク自身を運動と見なす視点を提案していた(『季刊 思想と現代』第38号、1994年)。社会を変えるために通信ネットワークを利用するのではなく、通信ネットワークそのものの中に新しい社会関係をつくりだすという運動もありうる、という視点である。匿名・平等といったネットワークの特性により、そこで形成される人間関係は非権威的なものとなるので、運動の理念は「脱権威」だとされていた。

現在では誰もがインターネットを利用しはじめているので、ネットワーク以前に知り合っていた仲間がWebページやメーリングリストを作るケースも多くなってきた。匿名性・平等性はインターネットの特性とは言えない。しかしそれでも、ネットワーク上での新しい人間関係の形成を運動論の観点から捉えた点は、現在でも有効性を失っていない。しかし本書で見るかぎり、現在の坂本氏には昔の自説のような運動論的視点はまったく感じられない。個々人が自由に発言できる場が確保されていればそれでよい、という弛緩した自由主義しかそこにはない。

誰もが発言の場を持ち、「共感のサークル」を自由に作れるという状況の中で、誰が何をすれば公共的な言論空間を創り出すことができるのか。この問題は依然として今後の課題として残されている。

「組織と個人、そして私」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

「90年代の共産主義運動を考える研究会」という小さなグループが発行している小冊子『研究会報』の第14号に、早見慶子さんが「組織と個人、そして私」という回想を寄せている。80年代から90年代のはじめにかけての戦旗・共産主義者同盟(荒派、現在は「ブント」と改称)の活動家だった頃を振りかえり、その活動に参加しはじめた頃から決別したときまでの様々な事件をつづったものだ。

この小冊子に掲載される早見さんの文章は以前から熱心に読んでいた。「阪神大震災に学ぶ」という連載は爆笑しながら読んだ(まだ連載は続いているようだ)。次の地震に備えてプロジェクトチームを発足させ、地震を革命へと転化させるための準備を始めようという珍妙な小説(?)である。人を心から笑わせ、楽しませる文章は左翼の世界では極めて少ない。しかし今回の文章は深刻な問題をつきつけるものだ。

90年代に入って荒派が急激な非政治化をはじめ、ついには共産主義の看板さえ捨てるに至ったのはなぜか、私はずっと理解できなかった。しかし今回、この回想を読んでようやく分かってきたように思う。

荒派の組織に入る前の時期について、早見さんはこんな回想をしている。

三里塚にいったとき、私が職場でケーキを「五個食べたらただにしてあげる。」というゲームをもちだされて、食べてしまった話をしたら、とりかこまれて「ブルジョア的だ。ケーキを食べられない人もいるというのに」と批判されたことがあった。そのとき、集団でいじめられている私に対し、「おれだったら、もっと一杯食べられるよ。」とフォローをいれてくれたのは雙田さんである。また同じく三里塚に行った帰りの電車で「成田空港が公共の役にたつ空港であったとしてもあなたがたは反対するのですか?」と質問したときに「私たちが公共のものを破壊するためにやってると思ってんのかよ。よくそんなこと言えたもんだな」とやっぱり集団で糾弾されているときに、いち早く察して「何、話してるの?成田空港が公共のためなら、もちろん反対しないよ。しかし、ベトナム戦争のとき民間の飛行場だって、米軍機が発着するんだよ。」と優しく語ってくれた。そして私は「批判じゃなくて質問しているのに、ああいう糾弾をされると、少しメンバーに失望した」ということを言ったら、「組織というのは完全なものではない。組織活動を通じながら成長していくことに意味があるんだよ。革命とはまず自分自身の未熟さを変革していくことから始まるんだよね。組織のメンバーが未熟であるのは僕が未熟だから、そこまでの組織しかつくれていないんだよ。」ということごとくの献身的なセリフに圧倒されていった。

ケーキを5個食べたというだけで「ブルジョア的」という批判が飛び出すのは、ごく普通の人間的な感覚が否定され、観念的な左翼性だけが追求されているということを意味する。三里塚闘争について素朴な疑問をぶつけただけで敵のように扱われたりするのは、もはや大衆に訴えて支持を獲得することを放棄し、組織内の論理だけで自閉してしまっているからである。そんな中へ早見さんは「雙田さん」という一人の活動家に惹かれることで飛び込んでいく。

一人の活動家との人間関係によって政治党派を選択したのはやはり失敗だったのだろう。政治的な選択はもちろん政治的な判断によってのみなされるべきであって、そこに個々の人間関係を持ち込むべきではない。早見さんが20代の貴重な時間を失ってしまったのはこの判断の誤りによるものだと思える。

とはいえ、どんな政治党派もこのような個々の人間関係を不可欠の要素としているのは間違いない。いかなる組織であろうと個々の人間関係が好き嫌いの感情に支配されることは避けられない。綱領や戦術が正しければ運動はつくれるが、組織を維持するためにはそれだけでは足りない。一般の会社組織でさえ社員旅行やクラブ活動によって擬似的な共同体をつくろうとするのが普通だ。当時の荒派のように武装闘争に入り込み、アジトで共同生活を送るようになっていればなおさらのことである。

かつて連合赤軍のメンバーだった植垣康博氏はこう書いている。

 実際、連赤の私たちの個性は、当初はこの日本の社会生活の「物質的土台と諸関係」の「所産」として形成されたにせよ、当時の赤軍派や革命左派の運動や組織が必要とする個性は、そのような自然に形成された自由な個性ではありません。個人としての個性そのものをブルジョア的な個人主義、自由主義として解体し、排除し、党派の運動や組織に全面的に従属し奉仕する思想、作風、規律に適合させた無個性としての個性です。これが、党派の運動や組織の「下部構造と諸関係」の「所産」として形成される党派的な個性です。問題は、国家権力との攻防が決定的なものでないときは、党派的な個性は建前として尊重していればよく、従って、自由な個性と党派的な個性とは共存できますが、攻防が決定的なものになったときにはもはや共存できなくなることです。というのは、両派の武装闘争そのものが両派単独で国家権力と革命戦争をしていこうとする非現実的なもので、従って、個々人に両派への徹底した盲目的な献身と犠牲を強制する以外に実行できないものであったからです。(「連赤総括論争によせて」、『ブントの連赤問題総括』、実践社)

早見さんが指摘している荒派の問題は連合赤軍の問題でもあったことがわかる。ごく普通の人間の個性を「ブルジョア的な個人主義、自由主義」として否定する組織観は明らかに荒派にも共有されている。連合赤軍ではこの組織観がメンバーの処刑を招いたが、荒派はそこまで行っていないというだけであり、程度の問題にすぎない。

植垣氏が適切に指摘している通り、自由な個性を完全に否定する連合赤軍の組織観は国家権力との攻防が決定的なものになったときにその矛盾を露呈した。革命戦争のための組織観であったにもかかわらず、そのときが実際に来てみると全く無力なものだということが明らかになったのである。否定できないものを否定し、政治の論理によって個人の生活を規制しようとしたところに本質的な無理があったのだ。

荒派がただ革命によってしか解決できない階級の問題を個々人の「小ブル性」の問題、言いかえれば心がまえの問題として捉えてしまったことの帰結は、本来の目的であった革命の忘却である。東欧革命やソ連の崩壊、さらには天安門事件によって、左翼をとりまく政治情況はますます厳しくなっていく。さらに、荒派は三里塚でも失敗して闘争から脱落せざるをえなくなり、政治的に行き詰まってしまう。

そんな中で彼らは突然禁煙運動を始める。その特徴は機関誌に掲載された「ブントはタバコをやめました」という論文のタイトルにはっきりと表れている。一般社会に対してタバコの害を訴えるのではなく、ただ自分たちの決意を表明しているにすぎないのである。彼らは政治党派として破産し、単なるサークルへと解体したことを自ら公然と宣言したのだ。

早見さんの説明によれば、この禁煙運動が提起されたのは逮捕された千葉の指導部がゲリラについて自供してしまったことがキッカケになっているという。自供した指導部は生活が荒れていたので、まずそこから反省することになったというのだ。この見当違いの運動に早見さんは強く反発し、結局は荒派から離れることになる。

今や荒派は党名を「戦旗・共産主義者同盟」から「ブント(BUND)」へと変更して共産主義を脱色している。政治集会は「グラン・ワークショップ」と呼ばれるようになった。活動内容は山登り、凧上げ、料理対決...まるで市役所が企画する夏休みのレクリエーションである。政治的な課題を放棄してしまったため、そんなことでもしないと組織を維持できなくなっているのだ。

とはいえ、彼らは人畜無害な市民サークルになったわけではない。日本共産党と同じように、政治目的は放棄されても組織のありかたは変わっていない。彼らは個々人が楽しむためではなく組織の「共同主観」を維持するために山登りや料理をしているのである。楽しみ方は各人各様、などというわけにはいかない。また、急激な路線変更を批判した佐藤悟志氏をロフトプラスワンで組織的に暴行した事件は、彼らが政治は放棄してもテロは放棄していないことをハッキリと示した。彼らの行動様式はオウム真理教とほとんど見分けがつかなくなっている。

個々人の「小ブル性」を絶えず問題とする組織のもう一つの行き先は“個人崇拝”である。植垣氏は自由な個性の否定が個々人の党への全面的な従属に至ることも指摘している。同じ問題は早見さんが上部の西城や立原について考察している部分にも出てくる。

 にも関わらず、彼は小ブル的学生っぽさを持っていた。最初から上に従う人間ではなく、自分の意見をちゃんと持っていた人であった。それは最初に登場する立原さんもそうである。そしてその一方でどうせ生きるなら苦しむ人間の役にたちたいと思って、努力をしていったに違いない。だから荒さんに従うことで、西城さんも立原さんも己の小ブル性を克服しようとしていったようだ。それがきわめて露骨な形で下部に対する官僚的態度となって現れてしまったのであろう。かつて立原さんが共闘関係の人とビラをめぐって対立したことがあった。そこに立原さんの問題発言があって他のセクトが戦旗に抗議するといったとき「荒さんにだけは言わないで」と謝ったという。自分たちの活動家生命が荒さんによって牛耳られていたから、こうであったのだろう。それは私も同様である。自分の活動家生命が西城さんの手の内にあった。

ごく普通の感性を「小ブル性」や「ブルジョア的な個人主義」として否定する価値観が支配している組織では、個々のメンバーは自然な自己をたえず否定しつづけなければならない。自由な意見の表明も不可能になる。上部と対立すればたちまち「小ブル性」を批判されるので、それを避けるためにはひたすら上部の指導を待ち、それを下部に押し付けていくしかなくなる。かくして“全能の指導者”が登場するわけである。

「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」とマルクスは書いた。たしかに、連合赤軍の壊滅を悲劇とすれば荒派の変質は茶番である。しかし、早見さんの回想は茶番の中にも悲劇がありうることを悟らせてくれた。

国際共産趣味ネットからの公開質問状

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

国際共産趣味ネットの協力者のTAMO2氏から「公開質問状」なるものが届いた。

はじめまして。悪臭を放つHP、国際共産趣味HPの協力者、***(HN=TAMO2)です。

掲題の件、真意を伺いたくてメールを出しました。当方、共産主義運動とは15年来関係があります。とはいえ、思想の根本には仏教というのが有りまして、その立場からの共感・支持という形であり、いわゆる「主義」にどっぷりはまっているわけではなく、会社員をやりながらできる範囲で運動を支援しております。

できる範囲の活動ということで、マルクス主義の文章の電子化を10年来おこなっており、現在残念ながら公開中止に追い込まれている「ディスク版資本論」第一巻(NIFTY-SERVE FSHISOなど)は私と友人の合作です。他にもいくつか作っていますが、これらは新日本出版社「経済」(97年10月号)の赤間先生に紹介されている通りです(もちろん、当時より進んでいます)。

さて、そういうわけで私はマルクス主義およびマルクスに惚れ、一生かけて追求する所存で過ごしております。私の目から見て日本のマルクス主義は一般大衆に受け入れられていない、特に根本的に社会主義・共産主義が悪平等であるかのような宣伝が行き届き、悪いイメージしかないことが大きな問題だと思います。それを何とか打破したい、と思っています。

「国際共産趣味HP」の設立趣旨に当たる文章を読まれた事があるでしょうか。人民k氏は共産主義・社会主義・無政府主義およびそれにまつわる諸々を楽しみ、宣伝し、検討することを宣言されております。それはひいては大衆に共産主義など忘れ去られ、忌み嫌われた「主義」を大衆に持ち込む事であります。

その姿勢のどこが「悪臭を放つ」のでしょう?

本件、解答は「国際共産趣味HP」BBS 「総合」にて願います。

     1999年2月22日

これに対し、私は以下の回答を送った。

「公開質問状」にお答えします。

私は中核・革マルから日本共産党にいたる現存左翼党派を生理的に嫌悪していますので、彼らと同じ言葉で語っているあなた方にも同様の感情しか持てません。いや、「世界人民団結万歳」など、現存左翼どころか戦前の共産党員でさえ恥ずかしくて口に出せなかったであろうスローガンです。キモチ悪くて見ていられません。

あなた方の趣味に付き合いたいとは思いませんので、BBSでの回答はお断りします。必要ならこのメールは転載していただいてもかまいません。あなたの質問と私の回答は「江東社会科学研究所」に掲載します。

ちなみに、TAMO2氏のメールで触れられている「ディスク版資本論」の公開中止の件は高山知之氏のWebページで経緯を知ることができる。TAMO2氏が作成した『資本論』の翻訳を高山氏がWebページで公開していたところ、昨年の5月に新日本出版社がプロバイダに対して「出版権を侵害している」と抗議したため、高山氏は自発的に公開を中止した、という事件だ。その後、高山氏が新日本出版社に侵害個所や損害額を問い合わせたが何の返答もないため、テキストの公開は暫定的に再開されている。

フォーラム90sの解散

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

今月の5日と6日、フォーラム90sの第9回総会が開かれ、フォーラム90sは解散することになった。

フォーラム90sが発足したのは1990年12月。その前年に起こった東欧革命が日本においても社会主義に対する激しい逆風を引き起す中、新左翼系の活動家や市民運動家や大学の研究者が集まって今後の展望を議論するためにできたものだ。月刊誌、市民講座、年末フォーラムの三つを活動の柱としてきた。

フォーラム90sの歴史は92年頃までの初期、94年頃までの中期、それ以後の後期に分けることができる。初期のフォーラム90sには多彩な顔ぶれが揃い、活気があった。90年暮の発会フォーラムには廣松渉、平田清明、降旗節雄といった各学派のリーダーというべき人たちが参加した。会員数も着実に増加して92年暮には1,000人弱となり、会員誌として出発した『フォーラム90s』は92年5月から市販化されて『月刊フォーラム』となった。しかし、この拡大路線が放漫財政と結びついて財政危機を招き、中期には数百万の累積赤字に直面して身動きが取れなくなってしまった。そこで雑誌制作費の切り詰めや専従事務員のパート化によって地道に財政を再建し、累積赤字を解消したのが後期である。初期の活気と後期の財政再建はひとまず評価されてよいのではないかと思う。

最後の運営委員長となった白川真澄氏は、12月5日の解散総会に提出した活動報告案の中で、フォーラム90sの当初の目標として次の五つを挙げている。(1)思想や立場や経験の違いを相互に認めあった自由闊達な討論の場となる。見解の違いが分裂になり暴力的抗争にまで至る悪しき作風を自覚的に克服し、左翼の新しい組織や文化のスタイルを創りだす。(2)研究者・学者と運動家・活動家の間に思想的・理論的な探求における新しい協力関係を創りだす。(3)各々の専攻・研究領域の壁を越える学際的な交流と協力を実現する。(4)オルタナティブな社会像を構想する作業を共同で進める。

第一の目標については、白川報告は「成功した」という評価を下している。たしかに、90年の発足フォーラムを明治大学の和泉校舎で開こうとして狭間派に脅迫されたり、94年の年末フォーラムに革マル派が押しかけてきて荒派と殴り合いになったりしたにもかかわらず、全体としては暴力に頼らない形での運営がなされた。しかし、そのことは「自由闊達な討論の場」が実現されたかどうかとは別の問題だ。年末フォーラムは報告者を多く立てすぎて討論の時間が取れないことが多く、時間が取れた場合でも「自由闊達な討論」にはほど遠い自己主張の投げつけ合いに終始した。やはり、本当の意味での討論が成り立つためには参加者はせいぜい10人でなければならないようだ。全体で数百人、分科会レベルでも数十人の参加者を集める年末フォーラムのような形態は、本質的に「自由闊達な討論」とは相容れない。紙上討論の場を提供するはずの『月刊フォーラム』は編集部の安藤紀典や天野恵一が私物化し、会員から遊離していただけでなく世話人会や事務局会議のようなフォーラム90sの中枢機関とも無関係に編集されていた。

第二の目標についての白川報告の総括は「組織を運営したり実務を担うことは運動家・活動家に任され、報告・発言や執筆の活動は研究者・学者が担うという分業関係は、根本的には打ち破れなかった」というものである。この総括は妥当なものと言わざるをえない。実務的な面での相互交流について言えば、初期の頃には毎月開かれる世話人会に大学の研究者もたくさん参加し、活気のある討論が行なわれていたが、年を経るにしたがって一人また一人と離れていき、最後は活動家ばかりになってしまったという経緯がある。去っていった人たちが悪いとは言いきれない。個人として参加していた者と組織から派遣されたような形で参加していた者との差なのであろう。理論的な面での相互交流については、活動家たちに大きな示唆を与える理論が誰からも示されず、研究者たちの知的関心を駆り立てる実践的課題も提起されなかったことが、相互の交流を中途半端なものにした根本的な原因だ、と言うことができる。発足当初は東欧革命やソ連の崩壊のインパクトがあったため、それなりに知的関心を共有することも可能だったが、そのインパクトが年々薄れていくにつれて各々がタコツボ化した「自分のテーマ」に埋没していった。これは第三の目標とも関わってくる。

さらにもう一つ指摘しなければならないのは、「活動家と研究者の知的交流」という理念の下で実際に集まってきたのは活動家でも研究者でもない人たちだったということだ。彼らはフォーラム90sの講座や講演会へ来て勉強し、それで満足してしまう。フォーラム90sで議論した成果を何らかの形で活かそうとは考えない。彼らにとってフォーラム90sは朝日カルチャーセンターの廉価版にすぎなかったのだ。

フォーラム90sはこのようにして本質的な問題を孕んでいたのだが、正式解散を前にして同趣旨の団体を新たに立ち上げようとする動きが二つ生まれた。「オルタ・フォーラムQ」と「アソシエ21」である。

11月15日付で出された「オルタ・フォーラムQ」の「発起人アピール」はフォーラム90sの継承をはっきりとうたっている。予定されている活動内容もフォーラム90sとほとんど同じだ。解散時点で250人いるフォーラム90sの会員を雲散霧消させるのは惜しい、ということらしい。発起人として名前を連ねているのは、池田祥子、斎藤日出治、志摩玲介、田上孝一、丹野清秋、村岡到、山川暁夫。イニシアティブを取っているのが村岡到であることは一見して明らかだ。

アピールは白川報告が指摘しているような基本的な問題には一切言及していない。この発起人たちはフォーラム90sの解散を行き詰まりによるものとは考えていないのであろう。たかが250人の組織を継承するという彼らの視野には、1,000人近くいた会員が四分の一に減ったという事実は入らない。そもそも、幼稚な理論しか持ち合わせていないのに自意識だけは超一流の村岡到は、「自由な討論の場を創る」というフォーラム90sの基本理念とは全く無縁の人物だったのだ。12月6日の最後の全体会でも、わずかに残った討論時間を奪い取って「韓国では米軍批判はタブーになっている」などと基調報告と無関係な論点をわめき散らしていた。彼の言動に閉口してフォーラム90sから離れたのは一人や二人ではない。「オルタ・フォーラムQ」はフォーラム90sのゴミ溜めにしかならない。

「アソシエ21」は12月10日付で「新たな世紀へ批判的知性の協働を!」と題した文書を出している。とくにフォーラム90sの継承を宣言しているわけではないが、やはり活動内容はフォーラム90sとほとんど変わらない。発起人として名前が記されているのは伊藤誠、橋本盛作、古賀暹である。

この「アソシエ21」に関しては仕掛け人がもう一人いる。いいだももである。彼は10月25日発行のフォーラム90sのニュースレターに「死者を自ら埋葬せよ」という短文を寄せ、その中でこう書いている。「いま・ここの世紀末危機の荒地は、資本主義の自由主義から帝国主義への世界史的段階転化をもたらした19世紀末の歴史的動態に匹敵する、20世紀から21世紀への世紀転換期のグローバルな危機の所産であり、そればかりか、そこにおいては近代文明とその出自である西欧文明そのものの人類史的位置が全面的に問われざるをえない。〔……〕この相転移直前の文明的臨界点での拮抗水準に、<フォーラム90s>は耐えることができず、志半ばにして挫折をよぎなくされた」「第三・千年紀の開幕まであと二年、有志とともにわたしは、<フォーラム21c>を広く立ち上げたい」。この「フォーラム21c」構想の実現が「アソシエ21」というわけだ。

たかが数百人の組織の命運が100年単位の文明史の転換と関連しているというのはボケ老人の妄想にすぎない。文明史の転換より重要なのは、フォーラム90sが行き詰まった直接の原因である財政危機が明らかになったとき、財政責任者だったいいだももは何の対策も出さず何の説明もせずに逃亡したという事実である。その人物がヌケヌケと“フォーラム90sは挫折した”と語ること自体が噴飯物なのだ。著名な学者や政治家には異常なまでに腰が低いくせに活動家や学生は道具のように酷使するこの老人は、まっとうな政治感覚を持っているかどうかを調べるリトマス試験紙として使うことができる。彼を肯定する人間は例外なく政治ボケだからである。

表に出ている三人の発起人のうち、伊藤誠氏と橋本盛作氏の意図はフォーラム90sの継承にあり、古賀暹氏の意図は“構改派系のフォーラム90sに代わるブント系のフォーラムの創設”にある。前者は「オルタ・フォーラムQ」の発起人たちと同じくフォーラム90sの縮小コピーをつくることしか頭になく、後者は10年遅れで構改派のマネをすることしか思いつかないというわけだ。「構改先に立たず」と言われたのも今は昔! 後ろ向きで出発する「アソシエ21」が21世紀を迎えることはないだろう。

続・「ブント」の暴力事件

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」のWebページが開設された。「ブント」の活動家が佐藤悟志氏に殴りかかった瞬間を撮ったビデオもある。

当初、「ブント」はこの件に関して公的には何も弁明しないという態度を取っていた。それほど重大な問題ではない、ということだった。しかし、最近になって彼らの機関紙『SENKI』に「7・16ロフトプラスワンの血気」という小さな文章が掲載された。

 「言論の自由」というのは、「何を言ってもいい」ということではない。言論の自由は、「他者に危害を加えない範囲」で守られるべきものだ。他者の人権や人間としての尊厳を著しく侵害するような言論は自由ではない。〔……〕侮辱されたのはわれわれブントであり、正義を希求し、人間的自由を実現しようというわれわれの思想性だ。黙っているわけにはいかない場合もあるのである。ナチス棒と催涙スプレーで「武装」するファシストに対し、やむにやまれず素手のブントの若者がちょっとだけ血気にはやったのである。

「他者に危害を加えない範囲」で、とはよくもヌケヌケと言ったものだ。侮辱に抗議したいなら、それこそ佐藤氏に「危害を加えない範囲」でやればよいではないか。

ナチス棒と催涙スプレーで「武装」、というのがデタラメであることもビデオを見れば明らかだ。彼らはトークの最中の佐藤氏に突然殴りかかっている。殴りかかった後すぐに逃亡しているところを見ると、「ちょっとだけ血気にはやった」のではなくて事前の計画通りの行動だったのではないかと思えてくる。

この事件は共産主義者同盟・戦旗派(通称西田派)の機関紙『戦旗』や『SPA!』での鈴木邦男の連載記事でも取り上げられた。この問題はもう少し続きそうな気配だ。

マルクス主義FAQ

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

マルクス主義に関するFAQをつくってみた。マルクス主義に関するごく初歩的な疑問や幼稚な批判を自分なりに片付けてみたいと思ったからだ。現在の思想情況の貧困化に少しでも抵抗できれば幸いである。

  1. マルクス主義に関する一般的な入門書はありますか?
  2. マルクス経済学のテキストを紹介してください。
  3. 『資本論』の翻訳にはどんなものがありますか?
  4. インターネット上にはマルクス主義関連の文献はありますか?
  5. マルクス主義に関するメーリングリストはありますか?
  6. 日本のマルクス経済学にはどんな学派がありますか?
  7. マルクス経済学と近代経済学という二つの経済学があるのはなぜですか?
  8. 社会主義と共産主義はどう違うのですか?
  9. 資本家というのは株主のことですか。経営者は資本家ではないのでしょうか。
  10. 経営の民主化と労働者独裁とどこが違うのか。
  11. 『資本論』は経済学批判の書であって、経済学の書ではないのではないか。
  12. マルクス主義は科学だとエンゲルスは言うが、科学と言えるのは経済学の部分だけで、階級闘争や革命を主張している部分は科学ではないのでは。
  13. 現代の日本にはマルクスの時代のような飢餓スレスレの貧困は存在しません。搾取の問題はもはや重要ではないのでは。
  14. 搾取がいけないというなら、強度の累進課税を要求すればいいんじゃないですか。
  15. ソ連が崩壊したことは計画経済の欠陥を証明しました。社会主義が資本主義より劣ったシステムであることは明白な事実です。
  16. 冷戦は資本主義世界の勝利に終わりました。いいかげん社会主義にしがみつくのはやめたらどうですか?
  17. 現在の日本は9割が自分を中流と感じるほど平等な社会です。階級なんてもう存在しないのではありませんか?
  18. マルクスやレーニンの時代と違い、現代の労働者は選挙権を持った主権者です。革命を起こしてプロレタリアートの独裁を樹立する必要はないのではありませんか?
  19. 暴力的な手段によって権力を奪おうとする思想には賛成できません。選挙で過半数をとれるように努力すべきなのではありませんか?

  1. マルクス主義に関する一般的な入門書はありますか?

    マルクス・エンゲルスの共著『共産党宣言』とエンゲルスの『空想から科学へ』が現在でも最高の入門書です。岩波文庫、国民文庫、新日本文庫から出ています。

     このほか、廣松渉『今こそマルクスを読み返す』(講談社現代新書、1990年)も優れた入門書です。

  2. マルクス経済学のテキストを紹介してください。

    最初に読むものとしては、マルクスが書いたパンフレット『賃労働と資本』および『賃金・価格・利潤』を薦めます。どちらも岩波文庫、国民文庫、新日本文庫から出ています。

     正統派によるテキストとしては、置塩信雄・鶴田満彦・米田康彦『経済学』(大月書店、1988年)。宇野派によるテキストとしては、伊藤誠『資本主義経済の理論』(岩波書店、1989年)があります。

  3. 『資本論』の翻訳にはどんなものがありますか?

    現在でも比較的容易に入手できるものとして、岩波文庫版(向坂逸郎訳)、国民文庫版(岡崎次郎訳)、新日本新書版(共同訳)があります。特にどの翻訳がいいということはありません。

  4. インターネット上にはマルクス主義関連の文献はありますか?

    たくさんあります。赤間道夫さんのWebページから辿ってみてください。

  5. マルクス主義に関するメーリングリストはありますか?

    『資本論』メーリングリストがあります。『資本論』の読書会が中心です。

  6. 日本のマルクス経済学にはどんな学派がありますか?

    正統派、宇野派、市民社会派、廣松派があります。正統派と宇野派は純粋な経済学の流派ですが、市民社会派と廣松派は経済学の枠を超えた広がりを持っています。人数としては正統派が圧倒的多数です。各学派の特徴は以下の通り。

    正統派……中心人物は特にいない。かつては『資本論』に書かれていることをそのまま正しいと認め、他の学派をイデオロギー的に攻撃する傾向が強かった。ただし、置塩信雄のようにマルクスの命題を数学を使って証明しようとする者もいる。

     宇野派……宇野弘蔵(1897-1977)を中心として形成された。経済学を原理論・段階論・現状分析という三つのレベルに分け、『資本論』を原理論、レーニンの『帝国主義論』を段階論に属する書物として位置づける。現在の中心人物は山口重克、降旗節雄。

    市民社会派……平田清明(1922-1995)を中心として形成された。労働者階級の解放という古典的な理念よりも近代的な個人の確立という理念を強調する。現在の中心人物は山田鋭夫、内田弘。

    廣松派……廣松渉(1933-1994)を中心として形成された。「物象化」をキーワードにして『資本論』を読み、その体系的な再構築を図る。現在の中心人物は吉田憲夫、石塚良次。

  7. マルクス経済学と近代経済学という二つの経済学があるのはなぜですか?

    マルクス経済学はマルクスから始まり、近代経済学はメンガー・ジェボンズ・ワルラスから始まります。この両者はそれぞれちがったやり方で経済学の歴史を断絶させたので、相互に交流することなく発展しました。旧来の労働価値説に対し、マルクスは剰余価値説、メンガー・ジェボンズ・ワルラスは効用価値説を導入したのです。

     ただし、効用価値説は労働価値説と対立するものですが、剰余価値説は労働価値説を継承したものです。経済学史の上ではマルクス経済学のほうが正統と言っていいでしょう。

  8. 社会主義と共産主義はどう違うのですか?

    それは思想、運動、体制の三面から考えなければなりません。結論を先に言えば、厳密な区別はありません。

    思想としては、両者は別々の系譜です。社会主義の思想家としてはフーリエ、オウエン、サン・シモン。共産主義の思想家としてはバブーフ、ブランキ、ヴァイトリングがいます。マルクスやエンゲルスは共産主義の系譜に属します。

    運動としては、共産党と言えばそのほとんどがマルクス主義政党ですが、社会党、または社会民主党は必ずしもマルクス主義政党というわけではありません。前者の代表はソ連共産党、後者の代表はドイツ社会民主党です。

    体制としては、特に20世紀に入ってからの用語法として、革命後に成立する第一段階の体制を社会主義、究極目標たる第二段階を共産主義と呼びます。

  9. 資本家というのは株主のことですか。経営者は資本家ではないのでしょうか。

    株主も経営者も資本家階級の一員です。いわゆる「サラリーマン社長」もそうです。彼らは労働者から搾取した剰余価値を分けあっているだけです。

  10. 経営の民主化と労働者独裁とどこが違うのか。

    経営の民主化という言葉が労働者の経営参加という意味であるとしたら、それは社会主義・共産主義とは何の関係もありません。社会主義というのは経営者と労働者の平等を意味するのではなくて、経営者(厳密には資本家)という階級の廃止を意味します。

  11. 『資本論』は経済学批判の書であって、経済学の書ではないのではないか。

    たしかに『資本論』の副題は「経済学批判」ですが、これは従来の経済学に対する批判という意味です。経済学一般にたいする批判ということではありません。マルクスの意図は共産主義運動に科学的基礎を与えることでした。

  12. マルクス主義は科学だとエンゲルスは言うが、科学と言えるのは経済学の部分だけで、階級闘争や革命を主張している部分は科学ではないのでは。

    その通りです。共産主義革命の主張はそれ自体としては科学ではありません。社会主義は、それが科学としての経済学に基礎づけられているという意味で「科学的」と言われるのです。

  13. 現代の日本にはマルクスの時代のような飢餓スレスレの貧困は存在しません。搾取の問題はもはや重要ではないのでは。

    単なる貧富の差が問題なのではなくて、資本家が労働者の賃金や労働時間を勝手に決めていること、さらには必要とあればクビを切って街頭に放り出すことができるということが問題なのです。この問題は現在でもまったく変わっていません。

  14. 搾取がいけないというなら、強度の累進課税を要求すればいいんじゃないですか。

    社会主義革命が廃止するのは資本家階級の所得の一部ではなく、全部です。これは累進課税によっては実現できません。

  15. ソ連が崩壊したことは計画経済の欠陥を証明しました。社会主義が資本主義より劣ったシステムであることは明白な事実です。

    社会主義とは階級の廃止であり、誰もが平等な権利をもって経済活動に参加することです。このような社会主義はソ連では実現しなかったのですから、その失敗をただちに社会主義そのものの失敗と見なすことはできません。

     現代の資本主義経済では大半の市場が寡占市場になっていて、もはや市場メカニズムが作用しているとはいえない状態になっています。ですから、市場経済が計画経済に勝ったというのも全然事実に合いません。

  16. 冷戦は資本主義世界の勝利に終わりました。いいかげん社会主義にしがみつくのはやめたらどうですか?

    ソ連型社会主義の崩壊があらゆる型の社会主義の崩壊を意味するわけではありません。ソ連型社会主義は階級の廃止という社会主義の古典的理念からは大きく外れていましたので、社会主義の崩壊ではなくて社会主義からの逸脱の崩壊だと見ることもできます。

     階級関係が存在する限り、階級の廃止を理念とする社会主義が死に絶えることはないでしょう。

  17. 現在の日本は9割が自分を中流と感じるほど平等な社会です。階級なんてもう存在しないのではありませんか?

    上流・中流・下流という区分の仕方自体が問題です。あなたは資本家階級か労働者階級か、というように質問すれば、「中流」の大多数が労働者階級と答えるに違いないからです。

     階級のない社会とは、役員の会議ではなく労働者の会議によって企業が経営される社会です。このような社会はまだ実現していません。

  18. マルクスやレーニンの時代と違い、現代の労働者は選挙権を持った主権者です。革命を起こしてプロレタリアートの独裁を樹立する必要はないのではありませんか?

    現代の「有権者」は主権者とはとうてい言えません。選挙で選べるのはごくわずかな議員だけであり、権力者の圧倒的多数を占めている官僚については選ぶこともリコールすることもできません。しかも、選挙というのは人を選んでいるだけであり、政策を選ぶことはできません。このような政治制度は根本的に変えるべきです。

  19. 暴力的な手段によって権力を奪おうとする思想には賛成できません。選挙で過半数をとれるように努力すべきなのではありませんか?

    一般国民が政治的な意思を表わす方法は選挙だけではなく、集会、デモ、ストライキといった様々な形があります。そういった形も含めて、暴力的でない形で権力をめざすのが望ましいことは言うまでもありません。しかし、場合によっては暴力的な手段に訴えざるをえないこともあります。あらゆる政府が外交官だけでなく軍隊も持っているのと同じです。

「ブント」の暴力事件

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

「ブント」(旧名は戦旗・共産主義者同盟、通称荒派、または日向派)が暴力事件を起こした。7月16日、新宿のトーク居酒屋「ロフトプラスワン」の出演者だった佐藤悟志氏に対し、会場へ行った「ブント」のメンバー10名ほどが佐藤氏に対して殴る蹴るの暴行を加えたのだ。

この事件に先立つ7月8日、荒岱介氏がロフトプラスワンでのトークに出演した際、佐藤氏は「ブント」を批判するビラをまいている。「『左翼自由主義史観』の跳梁を許すな! 第二よど号=しょせんは塩見系ニセブント・サークル集団 左翼KKC=日向一派を迎え撃て!/1997年07月08日 新宿ロフトプラスワン 荒岱介(あらたいすけ)弾劾人民裁判に全ての活動家は結集せよ!」という見出しで始まっていて、肩書きは「政治結社『青狼会』総統、反共突撃隊『ファシスト・インターナショナル』突撃隊長、売春の自由党 事務局長、共産主義者同盟・赤軍派最終議長、ブント清算事業団管財人 佐藤悟志」となっている。その後、荒岱介の「罪状」が3項目にわたって説明されている。最近の「ブント」の急激な路線変更を指摘し、過去の路線の犠牲になった人々に対する責任を追及し、現在の路線の珍妙さを問いかけるものだ。

佐藤 その「アンチで」「リアリティがなく」「通用しない」話を実現するために、一体どれだけの人間が、逮捕され、投獄され、頭を割られ、職を失い、給料やボーナスの大半を上納し、家族を泣かせ、歯を折られたり骨を折られたり、頭がおかしくなって四六時中公安に尾行されていると訴えて精神病院送りになったり、全身に油をかぶって焼身自殺したりしたか。荒岱介が忘れることは許されまい。その犠牲を、あたかも分別ゴミでも出すかのように笑って投げ捨てる「知的共同体」の主催者荒岱介に、昭和天皇の戦争責任を云々する資格はカケラもない。

このあたりが佐藤氏のビラの中心ではないかと思う。ひとことで言えば、かつて戦旗・共産主義者同盟のメンバーだったという佐藤氏が恨みつらみをブチまけたような内容だ。

ビラの最後には、「判決」として、「1 日向一派はブントの偽称をやめ、『わくわくネットワーク・やんぐ埼玉』を名乗れ」「2 荒岱介は今までにダマシとって自分の名義にした全資産を、福祉施設に贈呈しろ」「3 荒岱介は共産主義者=マルクス・レーニン主義者だった過去と戦争責任を償うため、日米帝国主義に謝罪し、反共活動に邁進しろ」と書かれている。

当日の会場でも佐藤氏は発言し、出演者の荒氏を批判したようである。

そこで、今度は佐藤氏が出演することになっていた7月16日、「ブント」のメンバーが仕返しに行ったということらしい。

この事件はニフティの「市民運動フォーラム」(fshimin)の第三会議室で山川正泰氏によって報告されている。また、ロフトプラスワンの「常連客有志」が「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」を出している。

「ブント」のメンバーである知人に聞いたところ、おおよそ次のような説明だった。(1)佐藤氏のビラはブントを中傷するもので許せない。何の権利があってブント清算事業団管財人」などと名乗っているのか。(2)7月16日の件は計画的な襲撃というものではまったくない。ブントのメンバーは議論をするために行ったのだが、結果としてああいうことになってしまったのだ。佐藤氏はナチス棒を取り出したりしてとても議論する姿勢ではなかった。(3)組織的な行動ではないので、ニフティでの書き込みや共同声明に対してブントとして特に対応することは考えていない。

私は「ブント」のメンバーに佐藤氏のビラを送ってもらって読んだ。これを見れば佐藤がどんなひどい人物かわかる、というつもりで送ってくれたのだろう。しかし、私はそれほどひどいビラとは感じなかった。仰々しいのは冒頭の肩書きと「判決」だけで、内容そのものはほとんど正当なものだ。最近の「ブント」の急激な変貌ぶりには多くの人たちがあきれている。その正当な主張に対し、集団的な暴力で応えたというのは余りにもお粗末というしかない。